萩本欽一とスター誕生

 このエントリーをはてなブックマークに追加 

萩本欽一がスター誕生を辞めた時・・・



⇒「Amazon山口百恵ストア



昭和53年4月

 

伝説のアイドル発掘番組「スター誕生」から、名物司会者が消えた。

 

 

 

欽ちゃんこと萩本欽一

 

 

 

 

空前絶後のアイドルブームを生んだ「スター誕生」は、欽ちゃんでなければありえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初代グランドチャンピオン森昌子を皮切りに、桜田淳子、山口百恵と立て続けに若手のスター歌手を生んだ同番組。

 

 

この3人が中3トリオ≠ニしてブレイクすることで、普通の女の子達が「私も歌手に・・・」と夢を見るようになった。

 

 

 

 

 

 

スターに憧れる少女達はこぞって「スター誕生」に応募した。

 

 

その後も、ピンクレディー、中森明菜、小泉今日子といった昭和を代表する人気歌手を次々と芸能界に送り込んだ。

 

 

 

  

 

 

 

 

かくして「スター誕生」は伝説的な番組となっていったのだ・・・

 

 

 

 

 

 

          「スター誕生!

 

 

 

 

実は萩本欽一。

 

「スター誕生」の司会役に当初は乗り気ではなかったという。

 

 

 

まあ無理もない。

 

 

今の若い人にはピンと来ないかもしれないが、
昭和50年代は、芸人の地位はとても低かったのだ。

 

 

 

今でこそ、売れている芸人が人気歌手をイジり倒すことは当たり前のように行われている。

 

 

 

 

 

 

しかし、その当時は芸人が歌手に話しかけることすらタブーとされているような時代だったのだ。

 

そもそも格調高き歌番組≠ノ芸人が出演すること自体が珍しい時代なのだ。

 

 

 

にもかかわらず、コメディアンである萩本欽一が新人歌手発掘番組の司会。

 

ステージ前には阿久悠をはじめ蒼々たる顔ぶれの審査委員達が陣取っている。

 

 

違和感ありまくり。

 

 

すでにコント55号でブレイクしていたとはいえ、一芸人にすぎない欽ちゃんが尻ごみするのも当然だったと言えよう。

 

 

 

 

 

 

萩本欽一は腹をくくった。

 

 

 

「自分のやりたいようにやって、怒られたら辞めてやる」

 

 

 

 

 

萩本欽一はとにかく番組を「面白いものにしよう」と考えた。

 

 

 

 

「欽ちゃんコーナー」なるものを作り、番組の途中で素人のお客さんをステージ上に呼んでイジり倒した。

 

 

 

 

 

 

審査委員達は「欽ちゃんコーナー」が始まると顰めっ面をして席を立って出て行った。

 

 

 

 

また、スタ誕卒業生としてブレイクした森昌子が番組にゲスト出演した際「タワシみたいな頭だね」といって、周りを凍りつかせた。

 

 

 

 

 

 

 

スタ誕のプロデューサー、審査委員達は激怒した。
しかし、それとは対照的にスタ誕の人気は爆発的に高まって行った。

 

 

応募者に対する審査員の評価がとにかく辛口≠ナ聞いている方が辛いこともあったが、欽ちゃんの笑い≠ェ入ることで、辛さと甘さのコントラストが効いた面白い#ヤ組に仕上がっていったのだ。

 

 

 

萩本欽一は芸能界の常識をぶち壊した。

 

そして、図らずも萩本欽一がアイドルブームの火付け役となっていったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

萩本欽一がスタ誕の司会を降板することになった。

 

昭和53年4月6日

 

スター誕生第443回目の放送が欽ちゃん最後の日だった。

 

 

 

いつものようにオーディションが行われた後、番組内で欽ちゃんをねぎらう「お別れ会」が開かれた。

 

 

 

森昌子、桜田淳子、岩崎宏美、ピンクレディー、石野真子・・・・・。

 

 

 

スタ誕で合格し、本物のスター≠ノなった卒業生が一堂に集まり、欽ちゃんをねぎらった。

 

 

 

 

 

 

 

 

お別れ会収録後、萩本欽一のところへディレクターが飛んで来てこう言った。

 

 

 

「あの百恵ちゃんが泣いていました」

 

 

 

 

 

泣かないアイドル≠ニして稀有な存在であった山口百恵が泣いていた。

 

 

それを聞いて萩本欽一は胸を熱くしたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

どんなに栄えある賞を受賞しても決して泣くことがなかった山口百恵。

 

 

しかし、スター山口百恵≠生んでくれたのはまさしく「スター誕生」であり、そして「萩本欽一」であったのだ。

 

 

その萩本欽一がスター誕生を去る。

 

 

 

 

どんな状況でも感情をコントロールできる山口百恵をもってしても、涙を抑えることができなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


☆ 今なら山口百恵の映画(14作品)を「U-NEXT」の無料トライアル(体験)で31日間視聴できます。(令和6年11月1日時点の情報)
パソコン、スマホ、テレビに対応しています。
⇒「U-NEXT無料トライアル


* 体験申し込み時に決済方法の選択(クレジットカード、キャリア決済、楽天ペイなど)は必要ですが、31日以内に解約すれば支払いはありません。完全無料です。とはいえ、U-NEXTは他の動画配信サービスよりも作品数が豊富なので、映画・ドラマ好きな方は体験期間終了後に本契約するのもいいと思います。なお、キャリア決済を選択される場合はスマホからの申し込みが必要です。
詳しくは⇒「無料トライアルの申し込み&解約方法


 このエントリーをはてなブックマークに追加 


関連ページ

山口百恵・三浦友和の餅つきに警官出動?!
正月の東宝映画「霧の旗」のヒット祈願として主演の山口百恵と共演者の三浦友和による餅つき大会が新宿で開催された。しかし、新宿の予想を上回る数のファンが殺到し人命に危険が生じたため四谷署から警官が出動。餅つき大会は僅か3分で中止となった。
大阪梅田コマで百恵ちゃん祭り?!
昭和53年1月。百恵ちゃん祭りが大阪梅田コマで開催された。山口百恵見たさに大量の大阪人が集まった。大阪百恵ちゃん祭りは大盛況に終わったが、大阪での開催は1度きりだった。
大島渚を殴った野坂昭如に歯を磨かせた山口百恵
「火垂るの墓」や「おもちゃのチャチャチャ」そして大島渚を殴ったことで有名な野坂昭如は戦争が終わってから歯を磨いたことがなかった。しかし、テレビで山口百恵と共演することとなり、野坂昭如は33年の時を経て歯を磨いたのだ。
伊藤博文の妻・梅子を演じた山口百恵
明治維新の立役者であり初代内閣総理大臣となった伊藤博文とその妻・梅子の生涯を描いたTBSドラマ「風が燃えた」で伊藤博文の青年時代を三浦友和が、そして妻梅子を山口百恵が演じた。ドラマは驚異的な視聴率を叩きだした。
「風が燃えた」のあらすじ
近代日本黎明期に活躍した初代内閣総理大臣伊藤博文の、松下村塾入門から暗殺までの生涯を描いたドラマ「風が燃えた」。伊藤博文の青年期「俊輔」を三浦友和が、そしてその妻・梅子を山口百恵が演じた。後半の壮年期は平幹二朗と三田佳子。超豪華キャストによる圧巻のドラマだ。
スキャンダルの帝王ジェームス三木の脚本に挑戦!
ゴールデンコンビ山口百恵・三浦友和の映画第8弾はジェームス三木脚本の「ふりむけば愛」。百友映画初めての完全オリジナル脚本だ。スキャンダルの帝王ジェームス三木が書いた作品だけあって山口百恵・三浦友和にとって新境地となる映画になった。
「ふりむけば愛」のあらすじ
ジェームス三木書下ろしの映画「ふりむけば愛」。平凡に生きてきた石黒杏子(山口百恵)とサンフランシスコで自由奔放に生きる田丸哲夫(三浦友和)が出会い恋に落ちていくというラブストーリーだ。百友映画では珍しくハッピーエンドとなっている。
親友アン・ルイスとアメリカへ
「六本木心中」「あゝ無情」などでロックの女王に君臨したアン・ルイス。山口百恵の芸能界における唯一の親友だった。引退後の山口百恵がアン・ルイスの「ラ・セゾン」の作詞をしたことでも二人の友情は有名だ。そんな二人が仕事を休んでアメリカに旅行に行った。
作詞家「横須賀恵」の処女作「銀色のジプシー」を百恵ちゃん祭りで披露
第4回百恵ちゃん祭りで山口百恵は選曲、衣装選び、構成などの舞台作りにも積極的に参加した。また「横須賀恵」として初めて作詞した「銀色のジプシー」を舞台で歌った。山口百恵は本物のアーティストに進化していったのだ。
山口百恵詐欺事件の犯人は今・・・
東京目黒の交通安全運動に「山口百恵が出る」という嘘の情報が流れた。ニセ情報を信じた山口百恵ファンが一斉に目黒に集まった。目黒署は対応に追われた。山口百恵にまつわる怪情報は社会を大混乱に陥らせるほどの影響力を持っていたのだ。
山口百恵が未婚の母に・・・
TBSドラマ「人はそれをスキャンダルという」で山口百恵が未婚の母を演じることになった。相手役は永島敏行。さらには、夏夕介、篠田三郎。様々ま男性との出会いと別れを繰り返しながら、一人息子を育てていく女性の波乱万丈の物語だ。
「人はそれをスキャンダルという」のあらすじ
山口百恵演じる小野寺信子は父の死後、異母妹に振回されたり、ある男性の子供を妊娠するも結婚はせず未婚の母となるなど波乱万丈の人生を送るようになった。「人はそれをスキャンダル」は山口百恵にとって初めて挑戦するジャンルのドラマだった。
若い頃の浅丘ルリ子が演じた『執炎』(しゅうえん)きよのを山口百恵が
若い頃の浅丘ルリ子が演じた『執炎』(しゅうえん)の「久坂きよの」を山口百恵が演じることになった。相手役は三浦友和で映画タイトルも「炎の舞」と変わった。大女優・浅丘ルリ子でもヒットしなかった同映画に山口百恵が挑戦したのだ。
「炎の舞」のあらすじ
山口百恵・三浦友和の主演映画「炎の舞」。出征した夫・拓治(三浦友和)への執念にも似た愛情が爆発し能面をつけて踊り狂う妻きよの(山口百恵)。やがて拓治は戦死し、それを知ったきよのも海に入り自らその命を絶った・・・
「プレイバックPart2」で山口百恵が紅白歌合戦史上最年少のトリに!
山口百恵が19歳でNHK紅白歌合戦のトリを務めた。ベテラン大物演歌歌手だけがトリを務めていた当時の紅白では異例中の異例。しかも史上最年少記録だ。歌は「プレイバックPart2」。山口百恵は日本歌謡界の歴史を変えたのだ。

13歳 14歳 15歳 16歳 17歳 18歳 19歳 20歳 21歳