三浦友和と山口百恵の出会い

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三浦友和と山口百恵の出会いは失敗が引き起こした偶然だった?!



三浦友和

 

 

 

 

そう。

 

映画やドラマで山口百恵との「ゴールデンコンビ」と呼ばれた二枚目俳優であり、後に山口百恵の夫となる男だ。

 

 

 

映画やドラマでの共演がきっかけで結婚にまで発展する芸能人カップルは多いが、百恵・友和のカップルはその代表格と言えよう。

 

 

 

 

 

 

 

では、この二人はいつ、どうやって出会ったのか?

 

 

 

 

 

 

 

昭和49年6月

 

山口百恵15歳の時。

 

百恵と友和はコマーシャル撮影の現場で初めて顔を合わせた。

 

場所は東京世田谷区の砧緑地公園。

 

グリコののコマーシャルを撮影するために、砧緑地公園と山口百恵、そして三浦友和が選ばれたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、当初予定していた撮影場所とタレントは違っていた。
実は、この直前に百恵はグアム島へ行き、別の男性タレントを相手にグリコのコマーシャル撮影をしていたのだ。

 

 

ところが、出来あがってきた映像を見ると、どうしても仲の良いカップル≠ニいう感じがしないという。

 

 

そこで、急遽撮り直しが決まった。
コマーシャル放映開始まで時間もない。
改めて海外まで行く時間もないので、東京都内の公園の中から砧緑地公園が選ばれる。

 

 

 

次に百恵のボーイフレンド役。
売れっ子の俳優はすでにスケジュールは埋まっており、急には呼べない。
そこで、まだ有名ではなかったが「シークレット部隊」というテレビドラマに出演していた爽やか≠ネイメージを持つ三浦友和に白羽の矢が立った。

 

 

 

そして、コマーシャル撮影。

 

 

 

 

 

 

 

二人は、その役にぴったりはまった。
まさに、イメージ通りのカップルに映っていたのだ。

 

このグリコのコマーシャルは大変評判が良かった。

 

そして、このコマーシャルがきっかけとなって、山口百恵初の主演映画「伊豆の踊子」の相手役として三浦友和が選ばれたのだ。

 

ここから百恵・友和のゴールデンカップルが誕生したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もし、グアム島での撮影が上手くいっていたら・・・
最初の男性タレントとの息がぴったりだったら・・・

 

 

 

百恵・友和のゴールデンカップルは生まれていなかったであろう。
山口百恵が三浦友和の妻になることもなかったであろう。

 

 

 

 

 

 

 

百恵・友和は偶然が生んだカップルだったのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや
そうではない。

 

 

二人は出会うべくして出会ったのだ。

 

 

偶然ではなく、運命的にみちびかれた百恵と友和なのだ。

 

 

 

私には、そう思えてならない。

 

 

 

 


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