女の子の一番大切なもの≠ニは?下衆なマスコミの質問に山口百恵が出した答えは・・・
プロデューサー酒井正利の青い性$略にのっとり、作詞・千家和也、作曲・都倉俊一のコンビが作り出した山口百恵の歌は立て続けにヒットしていった。
そして、5枚目のシングル「ひと夏の経験」は約45万枚ものセールスを叩き出し、この頃の山口百恵はもはや押しも押されぬトップスターとなっていた。
全てがプロダクションの計算通りに事が進んでいたのだ。
だが、大人たちの思惑とは裏腹に、山口百恵は葛藤していた。
あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ
この過激な歌を作ったのはプロダクションの大人達。
しかし、実際にこの歌をステージの上で、そしてテレビカメラの前で歌っていたのはわずか15歳の少女なのだ。
「青い果実」「禁じられた遊び」そして「ひと夏の経験」
幼い恐怖心と防衛本能が私をためらわせた
青い性路線と揶揄されるこれらの歌詞を最初に渡されるたびに山口百恵は心の中でそう感じたという。
口には出せないが、山口百恵の心は完全に青い性≠拒否していたのだ。
しかし、アイドル歌手本人の意思など、芸能界のシステムの中では何の意味も持たない。
山口百恵はいわれるがままに青い性≠歌った。
そして、歌はヒットした。
好奇の目で見ていた世間の大人達の声を代弁するかのように、マスコミは決まってこの質問を山口百恵に投げかけた。
女の子の一番大切なもの≠チて何だと思いますか?
いい年をした大人たちが、高校1年生になったばかりの少女を問い詰める。
質問をする大人たちは決まって口元に薄い笑いを浮かべながら、上目づかいで山口百恵を見ながら聞いた。
「処女です」
とでも答えて欲しいのだろうか?
山口百恵は達観していた。
きわどい歌を歌わされている15歳の少女に対してきわどい質問を投げかけ、その困惑する様子を見て、そしてメディアで騒ぎ立てる。
下衆で浅はかな大人達の企みに対して山口百恵は常に冷静であった。
「まごころです」
山口百恵は顔色一つ変えずに、この一言で押し通した。
やがて、山口百恵の中で心境の変化が見られるようになってきた。
「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」
「あなたが望むなら私何をされてもいいわ」
確かに歌として見た場合、きわどいものだったのかもしれないのだが、歌うにつれ、私の中で極めて自然な女性の神経という受入れ方ができるようになっていた。もちろんその頃はまだ想像の域を脱してはいなかったのだが、それでも女の子の微妙な心理を、歌という媒体を通して自分の中でひとつひとつ確認してきたように思う。
(自叙伝「蒼い時」より)
大人達が炎上を狙って作った青い性
山口百恵が本心では拒否していた青い性
ブームが去れば、青い性≠フ歌とともに山口百恵≠熄チえていく。
プロダクションの想定としてはそんなところだったのかもしれない。
しかし、山口百恵は炎上のために歌わされていた歌を、やがては自分のものとして歌うように変わっていった。
それは成長≠ニいうありきたりな表現では追い付かないものであった。
やがて山口百恵はブーム≠ナはなく時代≠作るアーティストに変化していったのだ。
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