アイドル歌手が愛人の子?マスコミが山口百恵の生い立ちを暴く

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アイドル歌手が愛人の子?マスコミが山口百恵の生い立ちを暴く



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昭和48年は花の中三トリオ≠ェブレイクした年であった。

 

そして、その中でも青い性路線≠ニ揶揄されるきわどい歌詞を歌っていた山口百恵に世間の関心は集中していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがてマスコミは、その山口百恵の私生活についても記事のネタにするようになっていた。

 

 

そしてついに・・・

 

 

 

 

山口百恵出生の秘密

 

 

 

 

芸能週刊誌が山口百恵の生い立ちを暴く決定的な記事を発表した。

 

その記事には山口百恵の戸籍謄本が掲載されていたのだ。

 

それは、山口百恵が高校に入学した直後のことだった。

 

 

 

 

 

 

山口百恵の母親と父親の間に婚姻関係はなかった

 

山口百恵は父が認知した娘であった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼少期の山口百恵にとって、父親はときどきやってくる人≠セったという。
だから、ある程度の年齢になってからは、自分の家庭が普通の家庭とは違うということを認識していたに違いない。

 

しかし、母と父の関係、自分と父の関係を正確に知ったのは、この「山口百恵出生の秘密」を山口百恵自身が読んだ時であった。

 

 

事実を知らされても、私は驚かなかった。そうだったからといって、母に対する気持ちも、自分が現在生きているということに対しても、何も変わりはなかった。それに、何よりも、私にはそれまで娘たちに一度として引け目を感じさせてこなかった強い存在 母親がついていた。記事を読みながら、私は改めて母に感謝した

 

 

山口百恵はその時の心情を自叙伝「蒼い時」にそう綴った。

 

 

 

 

わずか15歳の少女が、自分の知らなかった出生の秘密を、芸能週刊誌によって知ることになる。

 

知られたくはないであろう自分の生い立ちについて、日本中に暴かれてしまう。

 

ただでさえ、青い性路線の歌で世間から好奇の目で見られていた山口百恵が、この記事によってさらに衆目に晒されることになる。

 

並みの精神力であれば、すでに潰されていたであろう。

 

 

 

 

私は改めて母に感謝した

 

 

 

 

 

記事を読まされた時、山口百恵はそう感じたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

山口百恵が日本の芸能史に残る伝説のスターとなったのは偶然ではない。

 

幸運からでもない。

 

どんな境遇にも負けない芯の強さを、山口百恵は生まれながらにして備えていたのだ。

 

山口百恵という花は、荒れ狂う芸能界の嵐の中で、揺るぎない強さをもって育ち、そして咲き誇ったのだ。

 

 

 


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