浅田美代子の「赤い風船」に惨敗した山口百恵のデビュー曲「としごろ」
祇園精舎の鐘の声
昭和の歌謡史に燦然と輝く山口百恵
「いい日旅立ち」「秋桜」など今もなお歌い継がれている名曲を数々残している。
だが、その山口百恵のデビュー曲は意外に知られていない。
「としごろ」
昭和48年5月21日に発売されたこの曲は作詞・千家和也、作曲・都倉俊一により作られている。
千家和也といえば麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」、林寛子の「素敵なラブリーボーイ」などを作詞したヒットメーカーだ。
都倉俊一も山本リンダ「どうにもとまらない」、大信田礼子の「同棲時代」など数々のヒット曲を手掛けた新進気鋭の作曲家。
この二人にデビュー曲を依頼したという事実からも、ホリプロがいかに山口百恵に賭けていたが伺われる。
しかし、満を持して世に出した山口百恵のデビュー曲「としごろ」はオリコンで最高37位、レコードの売り上げは7万枚にも達しなかった。
はっきり言って、惨敗である。
昭和48年の春。
ある女性アイドルがデビューし、一躍人気スターとなっていた。
そのアイドルの名は「浅田美代子」
今の若い人が知っている浅田美代子はバラエティー番組でたまに見かけるとぼけた天然おばさんかもしれない。
しかし、若い頃の浅田美代子はそれはそれは可愛かったのだ。
当時のTBSの人気ドラマ「時間ですよ」にヒロイン的役割でデビューした浅田美代子はドラマの中で自身のデビュー曲「赤い風船」を屋根の上で堺正章と並んでギターを弾きながら歌う。
その歌は兎にも角にも下手くそではあったが、そのキュートなルックスから奏でられるジャイアン並みの歌声とのギャップに世の男性はやられてしまい、レコード発売直後から大ヒットした。
昭和48年4月21日に「赤い風船」が発売されるやいなや、いきなりオリコンチャート初登場で2位、そして翌週には1位になり、レコードの売り上げ48万枚という昭和40年代後半では驚異的なヒットとなったのである。
とにかく、この年の春は浅田美代子≠ェ芸能界に旋風を巻き起こしていたのだ。
「赤い風船」
そんな時期にデビューした山口百恵。
地味なルックスで特にインパクトのない無難な歌といっていい「としごろ」を歌う山口百恵と、愛くるしい笑顔で耳を疑いたくなるような音痴な声で歌う浅田美代子。
この時点での山口百恵は浅田美代子の足元にも及ばなかったのだ。
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